海外生活

投稿日:2013/12/23
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海外で暮らしたことはないので、感覚として分からないのですが、
例えば事情で海外で生活することとなり、
必然的にその土地の言葉を習得していくわけですが、
その際に「日本人なまり」みたいなものはあるのでしょうか。
言い替えると、外国の人が日本に住んでいたとして、
「片言の日本語」というものがあって、
それの逆バージョンは存在するのでしょうか。
単語単語でしか喋れない、というのが
いわゆる「片言の英語」という感じなのかと思うのですが、
それはある程度月日が過ぎるとそれなりに文章になり、
それなりに言葉になり、スラスラと喋れたりしないのでしょうか。
先日、久しぶりにTVでデーブスペクターを見ました。
彼を日本で確認してから結構な年月を覚えます。
しかしTVで何かをコメントしたり、
何かの進行をしたりする彼はいつまでたっても片言っぽさがあります。
デーブスペクターの日々の生活がどのようなものかは分かりません。
仕事がある時にだけ日本にいるのかもしれませんし、
日常生活での会話は英語なのかもしれません。
何一つ分からない上で、あえて思います。
「なぜ、まだ片言?」と。
調べてみると1983年から日本にいるそうです。
モヤモヤさま〜ず2に出ている狩野アナは、
非常に流暢な英語を喋ります。
アメリカに住んでいたことがあり、話せるのだと思いますが、
デーブスペクターより居住歴はないように思います。
しかし彼女は普通に喋れているのに、なぜデーブスペクターは片言チックなのでしょう。
ちなみに彼はダジャレが得意であり、初めて言ったダジャレは
「住めば都はるみ」 「案ずるより横山やすし」な んだそうですが、
そんな事まで言えるのになぜまだ片言チックなのでしょうか。
ただ、流暢に日本語を話すデーブスペクターだったら、
それはデーブスペクターでないように思えます。
彼のサービス精神なのかもしれませんね。
もしくは、長渕が好きで歌を歌う時には長渕のような歌い方になり、
例えゆずを歌ったとしても長渕でしか歌えないように、
その喋りが染みついている、のかもしれません。
たまたま見かけたデーブスペクターだけなのに、
こんなにもデーブスペクターを連呼することは私の人生で初めてです。
そんな私のデーブスペクター記念日。


カテゴリ:出会い